80歳まで働く

先日の日経新聞にイオンの定年延長制度(60歳以降、65歳までの働き方)が載っていた。多くの企業が再雇用制度で急場をしのぐなか、59歳までと同じ条件(同一賃金、昇格もあり)を60歳以降にも提示する考え方は、他社に一歩先んじた秀逸な試みに映る。

いつまで働くかは個々の考え方に依拠するが、高齢化社会に向かう中、より多様な考え方が有っても良いと考える。 ちなみに私は80歳まで働きたいと思っているが皆さんはどうだろう?

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私の家系は長寿である。 祖父は102歳での大往生であったし、父も85歳で元気である。そんな健康遺伝子(?)のお陰で、人生100年、が私の思考のベースラインにある。そうなると、大学卒業後80年近くも生きることになるのである。

これだけ長く生きる可能性があると、ライフデザインをある程度組みあげておいた方が良さそうだぞ、と30代に入ったあたりから微妙に感じていた。 その際に厄介に感じていたのが、日本企業における60歳定年という線引きである。体力・知力の年齢個人差は大きくあると思うのだが、日本企業はこの点において狭量である。 定年しても私の場合はそれまでの40年間と同じ長さの時間がその先に横たわっているのであり、60歳はただの“折り返し地点”でしかなく、引退という気分にさらさらなれない気がする。ハッピーリタイアメントという欧米的価値観もピンとこない。 少なくとも80歳くらいまでは、社会に必要とされる存在として働いていたいと思うし、社会との連動感こそが年齢を積むにつれて生きる糧となる気がしている。

そういう意味で、定年の無い世界への主体的移行は常なる課題であったわけである。

最初の20年を終え、今、60歳定年という区切りの無い仕事に移ったわけであるが、次の20年と3つ目の20年においての課題はより“天職”に近づくことだ、と思っている。

“天職”の定義は難しいが、祖父の80歳・90歳代が原イメージひとつである。

祖父は弓道の師範であった。世代が一回りも二回りも違う門下生に技を教え、代わりに彼らとの交流から常に刺激を受けていた。慣れ親しんだ得意なことでささやかながらも収入を得、若い世代に教え、社会と連動し、闊達とした生活をしているように見えた。本人がどう考えていたか不明であるが、私の目には“天職”をエンジョイしているように映っていた。(そんな祖父もその土台作りやらで60歳くらいまでは大変であったと聞いている。)

“天職”などというもの(状態)に行き着くまで、まだまだサバイバル状態でジタバタが続くと予想するし、キャリアドリフト期に再度突入することもあるだろう。が、折々のハプニングを楽しみつつ、緩やかな坂を駆け上るように、私は働いていきたいのだと思う。

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80歳まで働きたい私のような人間は例外としても、60歳という画一的な区切りに縛られないキャリアの仕組みを社会・個人の双方がもっと突き詰めて考える時に来ているのではないだろうか? そんなことをイオンの記事に触発されながら考える連休であった。

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