啐啄(そったく)の機

禅家の言葉に『啐啄の機』というものがあります。人材開発方面の方にとっては馴染みある比喩かもしれません。 雛鳥が卵の殻を中からつつく(啐)タイミングと親鳥が外からつつく(啄)タイミングがうまく合わさることで雛は世に出ることができる、という意味です。

そこからひいて、ヒトが育つ・一皮むける・ひとつ上の視点を獲得する、といった行為において、支援には「タイミング」が極めて重要であること、そして「支援し導く他者」の存在が必要であることが含意であろうかと。

内側の準備を無視して外側からつつき続ける(教える)だけでは、ただ殻が壊れるだけであり、内側からやみくもにつつき続けても外側がきづかなければ(殻の厚さにもよりますが)つつき疲れてしまうだけかもしれません。

親鳥・雛鳥、と書くと若手対象を想起してしまいますが、師匠・弟子と置き換えて例えばスーパー人事部長が本物のCHO(Chief Human Officer)に、スーパーエンジニア・研究者が経営視点に富んだCTOに脱皮していく上で、時機をとらえた他者からの支援が必要であることには経験的に違和感がないのではと思っています。その線でいくと、優秀な技術系事業部長がいきなり海外拠点長(工場長・法人トップ)になった際なども、経営視点をもったメンターの存在は不可欠と考えます。

昔の日本企業には、良い意味での「お節介」なヒトが社内にも沢山いてメンター代わりをしてくれていたように思います。時に厳父のように接し、時に慈母のように精神的支援を行ってくれるような人々。 同一人物の場合もあれば、別の人間がお父さん・お母さん役を担う場合も。それは社会の財産のようなメンタリティーであったと思います。そして、最近はそのような関係性が希薄になってきており、一人一人の職務が複雑化・肥大化傾向にある中、本質的なことを落ち着いて考える時間すら無くなってきているのでは、と危惧いたします。外部からのメンターサービスを提供して人の成長・組織発展に寄与したいと考えたのはこのあたりに原点があります。

 また逆に、成果を出せるビジネスマンというのは「能動的・本能的に」メンターとうまく出会い・関係を紡げる人、という言い換えができるかもしれません。ご自身で経験値をデザインできるという自律性にこそ特徴があるとも言えます。 内部メンター・外部メンター双方に違う意味合いがあるわけですが、ポジションが上がり・裁量が格段に広がるにつれ、より外部メンターの存在が重要になってくる傾向があると思います。(人によっては、ゴルフ人脈をとても上手に活用されておられます)

キャリアをデザインしていく上で、タイミング次第で同じ経験の量でも質の深さが全く違ってくることを「啐啄の機」はいつも思い出させてくれ、私にとっては欠かせない重要キーワードのひとつとなっています。

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